2012年01月31日
リリカ9歳
リリカは今日で9歳になります
すくすくと無事に育ってくれたことに感謝です。
「9歳の壁」という言葉があります。
教育現場で「絶対学力』という言葉で、語られることが多いようですが
そうではなくて、
理性やロジックで考えるようになるのがこの年齢あたりだとパパは理解しています。
9歳までになるまでは「駄目なものはダメ」で通じるのが
9歳を超えると「どうしてダメなのか、理由がないと納得しない」
ということ。
つまり、いけないことはいけない、と教えるのは9歳までにということなのですね。
9歳は大人への入り口かもしれません。
先日こんなことがありました。
夕方のご飯の支度で忙しい時間。
ママは出張で遅くなるとの連絡がありました。
リリカはお手伝いしてくれて、お風呂を洗ってくれます。
(最近のお手伝いの定番です)
ですがその日、お友だちから借りたワンピースが間違いでした。
お手伝いも気がそぞろ、マンガに夢中になってしまったのです。
お風呂へ洗いに行ったようでしたが…
パパがご飯の支度がひと段落ついて、声をかけました。
「リリカ、お風呂どうなってる?」
「あ〜忘れてた」
あわててお風呂へ行くと
「パパ〜水がない」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」
なんと栓もせずにお湯が流しっぱなし。
しかもウチのマンションは給水タンクなので、お湯は限られた分を使うと、お水になってしまうのです
案の定、蛇口からはつめた〜い水が。
パパから雷が落ちました。
マンガに夢中になりすぎて、明日の支度や食事のお手伝いもしないばかりか、自分のしたことも注意散漫。
がっつり怒られ涙、涙です。
お風呂も無くなり、ご飯もあまりおいしくいただけなかったリリカ。
ず〜っとむくれっぱなしでしたが、寝る前にパパのところへ来てこう言いました。
「ずっプリプリしても気分が悪いから、笑ってから寝ることにするね」
と真っ赤な目で笑顔を作ったのです。
パパはこの行為に心がうたれました。
気持ちをプラスに変えることは大人でも難しい。
だけど間もなく9歳の子がそう努力していることに感激です。
ホントはパパも注意散漫でした。
もっと早くに声をかけてあげればよかった、
あんなに叱らなくても良かった。
そう反省しました。
次の日起きたらリリカに
「きつく叱ってゴメンね。リリカのことは大好きだよ」
そう伝えようと思ったのです。
9歳。
もうすっかり大人顔負けです。
これからの育ちを見守ることに、あらためて幸せを感じます。
すくすくと無事に育ってくれたことに感謝です。
「9歳の壁」という言葉があります。
教育現場で「絶対学力』という言葉で、語られることが多いようですが
そうではなくて、
理性やロジックで考えるようになるのがこの年齢あたりだとパパは理解しています。
9歳までになるまでは「駄目なものはダメ」で通じるのが
9歳を超えると「どうしてダメなのか、理由がないと納得しない」
ということ。
つまり、いけないことはいけない、と教えるのは9歳までにということなのですね。
9歳は大人への入り口かもしれません。
先日こんなことがありました。
夕方のご飯の支度で忙しい時間。
ママは出張で遅くなるとの連絡がありました。
リリカはお手伝いしてくれて、お風呂を洗ってくれます。
(最近のお手伝いの定番です)
ですがその日、お友だちから借りたワンピースが間違いでした。
お手伝いも気がそぞろ、マンガに夢中になってしまったのです。
お風呂へ洗いに行ったようでしたが…
パパがご飯の支度がひと段落ついて、声をかけました。
「リリカ、お風呂どうなってる?」
「あ〜忘れてた」
あわててお風呂へ行くと
「パパ〜水がない」
「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」
なんと栓もせずにお湯が流しっぱなし。
しかもウチのマンションは給水タンクなので、お湯は限られた分を使うと、お水になってしまうのです
案の定、蛇口からはつめた〜い水が。
パパから雷が落ちました。
マンガに夢中になりすぎて、明日の支度や食事のお手伝いもしないばかりか、自分のしたことも注意散漫。
がっつり怒られ涙、涙です。
お風呂も無くなり、ご飯もあまりおいしくいただけなかったリリカ。
ず〜っとむくれっぱなしでしたが、寝る前にパパのところへ来てこう言いました。
「ずっプリプリしても気分が悪いから、笑ってから寝ることにするね」
と真っ赤な目で笑顔を作ったのです。
パパはこの行為に心がうたれました。
気持ちをプラスに変えることは大人でも難しい。
だけど間もなく9歳の子がそう努力していることに感激です。
ホントはパパも注意散漫でした。
もっと早くに声をかけてあげればよかった、
あんなに叱らなくても良かった。
そう反省しました。
次の日起きたらリリカに
「きつく叱ってゴメンね。リリカのことは大好きだよ」
そう伝えようと思ったのです。
9歳。
もうすっかり大人顔負けです。
これからの育ちを見守ることに、あらためて幸せを感じます。